大島渚監督 

1996年ニューヨークへ写真を学びに飛び立った。

それまで お世話になっていた 京都の映画撮影所に席をおかせてもらいながら
そこから 4年間 京都の映画撮影所とニューヨーク ロンドンを巡り写真学することになる。

1998年に半年間 東映撮影所へ時代劇のスチルマンとして働きに帰ってきていた時 
ちょうど松竹撮影所では  大島組 映画 御法度の撮影中だった。

大島組の撮影をみたくて 何度か現場に入れていただいた。

車椅子姿の大島監督の 本番の ヨォーイハイッ と カァット の肉声が 本当に鬼気迫る肉声で
魂の叫びだったことが印象的だった。

映画に人生をかける 声 だった。
その声は 現場の全ての人にとっての 映画に生きる 指針となった。

現場には ピンとした 尊い 空気 が張りつめて
自分の動きや 息の音も その空気を乱す事は決して許されない とても神聖な 空間 で

そこにいる誰もが 息を殺しながら 俳優の演技へと 全神経を集中させていた。 

映画を撮るということは 写すということは こういうことなんだと 心に覚えた。

京都の映画撮影所時代に 監督や 俳優さん スタッフ 関係者 撮影現場 京都の地 で学んだ事は 
今の私の土台となっている。

教えて戴いたことを きちんと自分の仕事に活かして そして返していこうとおもう。

ご冥福をお祈りします。

 

 

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